戦前に祖母である徳川米子が絽刺しの「糸栄会」を主催し、広く活動を始めました。
徳川米子没後は娘の徳川春子が細々と「糸栄会」を引き継ぎましたが、徳川春子没後はその活動は
ほとんどなくなりました。
夫である悟は明治天皇の曾孫であり、祖母の朝香宮允子妃殿下も絽刺しをたしなみ、姑にあたる大給湛子(大給きよこ)も、元自宅の朝香宮邸(現東京都庭園美術館)の壁紙をモチーフにするなどして
絽刺しを親しんでいました。
姑の誘いで叔母である徳川春子のもとで絽刺しの会に参加をします。
そこで叔母であり師でもある徳川春子が手にしていた絽刺しの財布に魅せられ、見よう見まねで
始めたのがきっかけで現在に至っております。
夫の悟は会社を退職後に絽刺しに興味を示し、始めました。
こうして、夫婦そろっての絽刺しが始まります。